PC9801E,PC-98LT
PC9810E, PC-KD8501, 20MB HDD, 8inchFDD, 3.5inchFDD, PC-PR201, ,,,
漢字が使えるようになった
テレタイプは5単位(5ビット Baudot Code)でアルファベット小文字と大文字の切り替えにはシフトイン・シフトアウトを用い表現できる文字数を確保していました。ASCIIコードでは7ビットになりましたが、それでもアルファベットしか表せず、カナを割り当てるためにもシフトコードが必要でした。16ビット機であるPC-9801が登場し、漢字ROMを実装し、24ドットインパクトプリンタが接続されてやっと日本語がなんとか表現できるようになりました。パソコンで日本語ワードプロセッサが身近な存在になると、ワープロ専用機は次第に使われなくなり、日本独自の実用的なパソコン文化が花開きました。IBM-PCに座を明け渡すまでは。。。PC-98こそ日本のパソコンでした。 |
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【 PC-9801E 動態保存 】
98は20MBの5インチHDD(当時の価格でHDDだけでも20万円),8インチFDD,3.5インチFDD,モニターとともに完全動態保存しています。さすがにメモリースイッチ保持用のリチウム電池は交換していますが、その他の部品はケミコンも含めて生産時のままです。この時代はパソコンも汎用機の部品が多用されていたためか非常に丈夫です。ソフトウェアはNECオリジナルのOSから、CPM-86やMS-DOS,Windows1.0をはじめアセンブラ、Cコンパイラからゲームまで8インチFDDで保存しています。ソフトウェアもすべて動作可能です。 |
マウスはNECより2種類発売されました。一つはシリアルポートに接続するシリアルマウス、もうひ一つはカードスロットを入れて使用するバスマウスでした。当初シリアルマウスを使っていましたが、通信でシリアルポートを使用するため、バスマウスに変更しました。 |
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パソコンを仕事で利用するには、なんと言ってもワープロ専用機に負けない文書作成機能が必須でした。一太郎のの前身の「太郎」、管理工学研究所の「松」、大塚商会の「オーロラエース」などの華が咲きました。 |
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1985年、横浜にあった横浜戸塚BBS。パソコン通信の黎明期、まだ 「NIFTY-Serve」(1987~2006)や、「PC-VAN」(2001年サービス終了)が運用を始める前の世界です。 SysOPの小野隆夫氏が逝去されたので、JH1IFZ吉田がその記録を残します。 |
電話線にモデムを接続する事が許されていなかったので、黒電話の受話器を「音響カプラー」にはめ込み、電話をダイヤルして接続することからパソコン通信は始まります。 電話回線が解放されモデムが接続できるようになり、PCは24時間運転のため98NOTEに、アマチュア無線でもPKT-1を用いてパケットの運用を始めました。
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【 PC-9801E お宅を支えたゲームソフト 】
最近よく使われる「オタク」ではなく、相棒を「おたく」と呼んだのは0011ナポレオンソロだったかイリアクリアキンでした。ゲームを作り、プロテクトを破り、自分のためのゲーム集ディスクを作る。元祖おたくがいっぱい現れました。 |
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Super ASCII
なんと、Google 画像検索で見つかるのはここだけでした。 Super ASCII はどこへ? |
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mini PC-8001
突然、場違いの ミニ PC-8001 です。
2020年10月 |
【Tips】
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