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コンピュータ室


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世界のコンピュータ誌

コンピュータ関連の忘備録(正しくは備忘録とはわかっていてもつい)として

外国の雑誌
BYTE

BYTE

その後、日経バイトとして
記事が読めるようになりました。

INTERFACE(フロッピーROM付録)

INTERFACE

フロッピーROMご存知ですか?
カセットテープが主力外部記憶装置だった時代、プログラムは
レコード
(ソノシート)で配布されました。

INTERFACE AGE

INTERFACE

この時代に売り出されたハードディスクは8インチで1MByte 100万円でした。

INTERFACE AGE

 INTERFACE AGE

kilobaud

 kilobaud

文字だけの目次が特徴!、
実用的な表紙

Computer Readout

 COMPUTER READOUT

USの店先にはありまし
たが、日本では見ませんでした

Asian Computer

Asian Computer

日本ではほとんど読まれ
なかった 雑誌だと思います。

日本の雑誌

電子展望

電子展望

マイクロプロセッサに関する記事は、一番進んでいました。ナショナル セミコンダクター1974年に発表した初期の8ビットマイクロプロセッサSC/MP(スキャンプ)を取り上げたのも電子展望でした。

ASCII 

ASCII

 スイッチレジスタが並んだ ミニコンと同様のパネルこそ憧れのコンピュータでした。

Lab.LettersLab.Letters

 Lab.Letters
ASCIIも初めは、同人誌的な
雑誌が発行されていました。

東大赤門前のESDラボラトリーの水島さんのところには、すごい人たちが集まっていました。 "Steave Jobs by Walter Isaacson" に出てくる水島さんその人です。

ASCIIASCII

ASCII

 創刊号を秋葉原センターの書店へ持ち込む姿をしっかり覚えています。
 憧れのAppleⅡは、当初百万円..
秋葉原で売られていました。

SuperASCII

Super ASCII

なんと、Google 画像検索で見つかるのはここだけでした。 Super ASCII はどこへ?

Oh!PC

Oh!PC
この辺からパソコンは存在を
主張するようになりました。

ニューメディアと教育教育マイコン実践

NEW教育とマイコン
教育マイコン実践

教育業界も新しいものに期待しました。しかし、米国同様、中学校技術・家庭科に情報教育を位置付けたのは失敗だったと思います。

横浜市情報処理教育センター情報基礎テキスト

情報教育

情報教育は中学校技術家庭科に位置づけられ教員研修も行われました。

   

東京理科大無線研がリードした時代

つくるCRTディスプレイ

 つくるCRTディスプレイ

つくるコンピュータ  つくるコンピュータ

昔むかし、デジタルICのおかげで、やっと画面に文字を出すことが出来た時代の はなしです。ASR32(テレタイプ社)を購入することができなかった学生たちは、テレビに文字を表示させることを考えました。シグネティクス2513キャラクタジェネレータ を使い、マイクロスイッチとアルミ棒から削りだしたキートップを使ってアマチュア無線 用のラジオテレタイプ装置を作り上げました。(つくるCRTディプレイ CQ出版) そしてまだROR命令のなかった時代のモステクノロジー社製マイクロプロセッサ6502TIM(ターミナルインターフェースモニター)や1本千円もした1KビットスタティックRAMを8本使って初めてのマイコン(今のパーソナル・ コンピュータ)を作り上げました。(つくるコンピュータ) 主導権をPC8001に明け渡すまでの間、TEACのMT2 を外部記憶装置とした自作OSの上で、紙テープで輸入したビル・ゲーツのタイニーBASICが走り、ジャンクのオフコンから外し、13個のソレノイドドライバーで駆動するIBMゴルフボールのプリンタが騒音を響かせる、それが私のメインマシンでした。 標記の「つくるCRTディスプレイ」それに、「つくるコンピュータ」は大学時代に仲間と書いたCQ出版の本(私の担当はほんの少しですが)で、私のマイコン人生の原点です。
TKS 理科大Ⅰ部無線研JA1YCRの仲間たち。
 

その他

みんなを電話にする PALDIOパンフレット

 このキャッチすごい!
と思いませんか?

「みんなを電話にしてあげよう」

   
   
【Tips】